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2019年10月

 西武、巨人、オリックスで通算525本塁打を放った清原和博氏が30日、都内で行われた「ワールドトライアウト2019」の開催発表会に出席した。現場監督を務める清原氏は黒のスーツ、ネクタイ姿で登場。時折笑顔を見せながら、「正直、驚きましたが、自分は執行猶予中の身ですし、このような大役を、そして野球に携われることが出来ることを本当に感謝しながら。正直感謝しかないです」と意気込みを語った。



 清原氏は2016年2月、覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6か月、執行猶予4年の判決を受けた。公の場に姿を現すのは、今年3月6日に都内で行われた依存症の理解を深めるための啓発イベントに登場して以来238日ぶりとなった。

 ワールドトライアウト社は清原氏へ監督を打診するまでに報道関係者らに相談。加治佐平代表取締役CEOは「挫折しても勇気を持って再チャレンジする(清原氏の)姿が起業理念にマッチしている」、「(報道関係者に)温かいバックアップをいただいて、清原さんまでつないでいただいた」と振り返った。3年前の逮捕で執行猶予中の身だったが、「執行猶予中で(監督を打診して)いいのかなと思ってました。ただ、早く現場に復帰したい、子供さんの野球に関わりたい、本人の意思で這い上がりたいという意思があるならば、このタイミングでお声をかけさせてもらおうと思った」と明かした。

 監督就任までの”交渉”はスムーズ。それどころか、田中聡代表取締役COOは清原氏と会談した際の前向きな姿勢に胸を打たれたという

「清原さんは(オファーを)受けないことを考えていなかった。やる前提で一生懸命に考えるんですけども、この選手たち、投手を回せるかなと非常に悩んでいた。その姿に力強いものを感じました。受ける、受けないで悩んでいるんじゃない。絶対にやるんだという意思を感じた。それが非常に嬉しかったです」

 ワールドトライアウトの本選が行われる11月30日、清原氏は神宮球場でユニホームに袖を通して指揮を執るという。会見後に清原氏は再びマイクを握り、「今日は甲子園よりも、日本シリーズの打席よりも緊張しておりました。みなさん、ありがとうございます。またがんばりますので、よろしくお願いします」と再起を誓った。球界復帰に燃える思いをぶつけて欲しい。
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 河井克行法相が辞任の意向を固めたと自民党幹部。
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 30日午後、富士山の標高3000m付近で身元不明の男性の遺体を警察の山岳遭難救助隊が発見した。動画配信サービス「ニコニコ生放送」で富士山登山の様子を配信中に滑落した男性とみられ確認を急いでいる。



 おととい、動画を見た人から「富士山から滑落したような動画がアップされていて心配になった」と110番通報があり、警察が捜索していた。(AbemaTV/AbemaNEWS)
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【東京】首里城全焼を受け、衛藤晟一沖縄担当相は31日午前、国会内で琉球新報などの取材に応じ「首里城は沖縄の文化や伝統、歴史が凝縮した、まさに沖縄のシンボルだ。正殿や北殿、南殿などが焼失し大変、心を痛めている。非常にショックだ」と語り、驚きをもって受け止めた。「一刻も早く再建しないといけない。内閣府としても音頭を取り、国土交通省や文部科学省とも十分協議し、県とも相談しながらやりたい」と述べ、首里城を再建する意向を示した。
 
 衛藤氏は「一刻も早く(火災現場に)行きたい」と述べ、早期に現場視察する考えも明らかにした。
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 タレントの木下優樹菜(31)が30日、フジテレビで放送された新番組「BACK TO SCHOOL! 2時間SP」(後9・00)に出演。愛媛県の小さな離島にある、生徒数73人の愛媛県立松山北高校中島分校で転校生として3日間を過ごした模様が放送された。



 最後のホームルームで木下は生徒からのメッセージや歌に涙、涙。別れの挨拶では「優樹菜は普通の高校生活をしたことがなくて、今回の仕事をもらったときにぜひやりたい、ってやらしてもらったんだけど、もし、みんながユッキーナが来るの?っていやな気持ちになったらどうしよう、先生に受け入れてもらえなかったらどうしよう、って不安だった」と振り返り、生徒や先生が温かく迎えてくれたことに、「絶対一生忘れないし、帰りたくないって思った」と涙が止まらなかった。

 そして「みんなに会って元気もらった。これからも頑張るのでまたいつか会えたらいいなって思います。本当に会えてよかったです。楽しかったです。ありがとう」と涙をぬぐった。

 木下は、転校生として学校を訪れる前、自身の学生時代について「本当にギャルで。渋谷の通信制(高校)に行ってて。ほとんど学校にも行かず、渋谷には行くけど、学校にはたどり着かず、センター街にいる、って生活をしてた」と振り返り、子育てするにあたって、「学校生活送っとけばよかった」と後悔していることを明かしていた。
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 「沖縄のシンボル」である首里城の正殿などの焼失に関係者は言葉を失った。

 太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)で灰燼(かいじん)に帰した首里城。89年から始まった復元に関わった高良倉吉(たからくらよし)・琉球大名誉教授(72)は31日午前4時ごろ、共に復元に取り組んだメンバーからの電話で出火を知った。那覇市の自宅から見える赤々と燃え上がる炎を「信じられない」とぼうぜんと見つめた。



 沖縄戦で多くの資料が失われた中、関係者が調査や研究を重ねて、正殿復元では建物内部の構造も琉球王国時代を忠実に再現。「完全木造で琉球王国で使用された往時にかなり近づけた」と自負する。北殿は資料散逸で内部まで再現できなかったが、沖縄の歴史に触れられる資料館として「他県にはない沖縄の歴史的象徴」をよみがえらせた。

 今年2月に新エリアが開園し、復元プロジェクトが完了したばかり。突然の火災に「事態を理解しかねている」と口は重かった。

 首里城では2000年の九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)で夕食会が開かれた。開催時の知事だった稲嶺恵一さん(86)は「沖縄戦で焼け野原となった沖縄の復興を世界の首脳に見せた首里城はサミットの主役だった。多くの人が心血を注いで復元した城が一瞬で失われてしまいあぜんとしている」と残念がった。自宅には早朝、サミットの沖縄開催を決めた首相、故・小渕恵三氏の妻から見舞いの電話があったという。

 沖縄県立博物館・美術館(那覇市)の田名真之(だなまさゆき)館長(68)も「ショックです。皆がぼうぜん自失でしょう」と驚きを隠せない。「首里城は日中に学んだ琉球独自の建築物。資料が乏しい中で多く人の英知を結集し、試行錯誤しながら復元した。それだけに計り知れない損失だ」と語った。

 建物の焼失に加え、首里城に収蔵されていた美術品などの文化財はどうなったのか。心配は募るばかりだが「正殿、北殿などはこれから文化的評価を受けるはずだった。まだ混乱しているが、どう立て直すか考えていきたい」と必死に前を向いた。【中里顕、柿崎誠】
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